以前、雑誌に連載していた文章です。店のPRではなく、情報公開の一環です 「何かに夢中になっていた。それだけは確かなんだ」
病院のベッドの上で、O氏はうなった。
O氏は私の高校時代の同級生であり、大学卒業後、栃木県の某市で、小さな私塾を経営していたのだが、1年前の夏、突然失踪し、家族・友人・知人たちの懸命の捜査の結果、つい最近発見されたばかりである。
失踪の原因は今もって不明だが、担当医師によると、強烈な精神的ショックのためか、以前の記憶を一部失ってしまったという。
「おれは何かに夢中になっていた。その何かが思い出せないんだ」
彼は、まぶしそうに目を細めながら語った。どうやら、外光が苦手らしい。
「何かって言われてもねえ。ヒントはないのか?」
私(サカモト)はカーテンを閉めながらO氏にたずねた。
「たしか、あいつはいい奴だった。すごくいい奴」
O氏は目をこすりながら答えた。
「いい奴?いい奴ねえ。
ひょっとして、それって、人の名前かな?
もしかして、サカモトっていう人じゃない?」
私は、こんなときに、どうして、こんなことを言ってしまったのだろう。
「サカモト?違うな」
O氏はゆっくりと首を横に振った。
「とにかく、いい奴だった。
あぁ、もうひとつ思い出したぞ。
絵が上手だった」
絵が上手だったって?私も絵は好きだった。
いったん文型の大学を出てから美大に入り直したのも絵が好きだったからだ。
マックを買ったのも、最初は、絵を描きたかったからだった。
ソフトも相当買い込んだものだ。
「やっぱり、それって、サカモトって人のことじゃないかなあ」
私はしつこくも聞いてしまった。
「ちがう、ちがう、ちがうんだ」
O氏は両手を振り、不機嫌そうに否定した。
「あ、もうひとつ思い出した」
一転して、O氏の顔にさっと赤味がさした。
「あれは、音楽も得意だったっけ。あれ、なんていうんだっけなあ」
音楽だって?
私は絵よりも音楽が好きだった。
美大を卒業後、音大に入ったのも音楽をやりたかったからだ。
マックを買ったわけも、本当は、音楽を作りたかったからだった。
音楽ソフトではロジックがお気に入りで、つい最近もミディアのオーディオベルクというPCIサウンドボードを買って遊んでいる。
「やっぱり、それって、サカモトっていう奴のことじゃないか」
私は、とことんしつこい男である。
「サカモト?ちがうなあ。
あ、そういえば、あれは、印刷も得意だったっけ。
きれいな印刷物を作ったりするのが得意でさ。
名前は思い出せないけど。。」
O氏のしゃべりが、さっきよりも、なめらかになっているのに気づいた。
「それって、DTPっていうんじゃない?」
「あー、そうそう、そうだっけな。なんでもわすれちゃって」
DTPといえば、私も好きだった。
クォークエクスプレスとか、けっこう使ったものだ。
私は、音大を出てから、某新聞社に勤め、それと平行して小さなミニコミ誌の編集長もしていたので、なおさらだ。
O氏の言う”いい奴”っていうのは、やっぱり私のことではないだろうか。
「ねえ、O。いいヤツってさぁ。
サカモトっていう名前じゃなかった?
もう一度思い出してよ」
私は自分でもうんざりするほどしつこいやつである。
「違うな。違う。うーん。。違うよ。
そもそも、サカモトってなんなのさ」
O氏の不機嫌がぶり返してしまった。
「あぅう。また、思い出した。
今日は調子がいいな。
アレは、ハイパーカードが得意だった」
私は驚いた。
O氏が、ハイパーカードなどという難しい固有名詞を思い出したことに。
それにしても、ハイパーカード。
新聞社をやめた私が、ハイパーカードで理科や算数の教材を作り、会社を興したことをO氏は思い出したのだろうか。
高卒後20年もたって、O氏と巡り合ったのも、あの教材会社を経営していたころだった。
「ハイパーカードっていえば、君と、ぼくが再会したきっかけじゃないか?
やっぱり、”いいやつ”ってさあ、サカモトって名前だと思うんだけどなあ」
「違う」
O氏は悲しそうな目で言った。
「違うんだってば!
そうだ、アレはインターネットも得意だった」
インターネット?
現在、私はインターネットを利用した通販会社を経営している。
主として、中古パソコンの売買を行っている。
当然、私のインターネットスキルは相当なものだ。
ああ、どう考えても”いいやつ”っていうのは、サカモトじゃあないのか?
「O君。もう一回聞くよ。
いいやつって、絶対に”サカモト”っていう名前じゃないんだね?」
O氏はまたしても首を横に振った。
彼の表情には絶望の色が浮かんだ。
彼を疲れさせてしまっただけなのだろうか。
私は、もうそろそろ、この病室を失礼すべきではないかと思った。
O氏がすべてを思い出したのは、私が、腰を上げかけた、その時だった。
「思い出したぞっ!いいやつってのはマックだ!マッキントッシュだ!」
「それで?それで?あとはなにを思い出した?」
私は興奮した。
「300万もつぎこんだマックのフルセットが盗まれたんだ。
で、インターネット通販で売り出されているのを見つけたんだ。
そうだ、マックを盗まれて売りに出されたショックで、おれは家出したんだ!」
私は、めまいを感じた。
彼の記憶が戻ってしまったのだ。
一刻も早く、自首しなければならないだろう。
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