以前、雑誌に連載していた文章です。店のPRではなく、情報公開の一環です 依頼者からの連絡によると,自分勝手なパソコンマニュアルライターが突如出現したから様子をみてきてくれないかという.そんな人はどこにもいそうな気もするし,だいいち,いまさら自分勝手なマニュアルライターに会ってどうするのかという疑問もわいたが,どうせ,ひまでもあることだし出かけることにした.まあ,最近はオンラインヘルプなるちょっと親切なヘルプも流行し,ユーザー思いという美名のもとにゴテゴテしてくどいマニュアルが普通になったりして,マニュアルのワイルドさがなくなってきたと思っていたところだ.
出現場所は群馬県高崎市.東京への新幹線通勤が可能と言うふれこみのローカル都市だ.わが家からは,車で2時間かからなかった.目的のライター氏の住居はモースト・ビューティフル・フラワーという,美容院と勘違いする(そうでもないかな)ような名前のマンションの3階である.呼び鈴を押して待つこと数秒,ドドーンという音がして一同ギョっとする.思わずまわりを見まわしていると,周囲の空気を吸い込むかのようにドアが開く.ドアの作りつけがわるいようだが,それにしてもこの音はひどい.
「お待ちしてました.どうぞ.」ごく普通の市民ふう男である.というのは妙な言い方か.年齢は見たところ,30代前半.薄い色のサングラスをかけ,部屋の中だというのに野球帽をかぶっている.おそらく,取材時の写真撮影を想定してのことだろう.身長は170センチ,体重は70キロくらいといったところか.ここで,またドドーンという音が,どこか遠くからひびきわたる.おそらくは別の部屋で玄関のドアの開け閉めをしているのだろう.安眠が望めないマンションである.
部屋のひとつのコーナーに食器柵があり,男は,そこからインスタントコーヒーのビンを持ち出して,「何か入れますか?」とこちらにたずねる.ホー,ちっとも,自分勝手ではないではないか.なかなか,気が利くし,親切そうでよろしい.僕はブラックがいいので「いえ,何も入れないで結構です.」と答える.すると,奴はにやりと笑ってインスタントコーヒーを柵に黙ってしまう.なるほど,こういうことだったのか.このできごとに,10%くらい,彼の自分勝手さの片鱗を見た.
「しっかし,いつの間に,あいつら無知なユーザーが,殿様みたいに文句をいうようになったのかってわけ.こういうのって,ラッダイト運動でもおこしてやろうとか思うね」後半の意味が不明だが,とにかく,彼が吠えている.まあ,僕だって無知だし,まわりのみんなだってどこかしら無知なのは多少認めるとしても,‘あいつら’って言い方はひどい.お客様は神様です.「おかげで,自分の書いたマニュアル原稿は,おそろしくわかりにくいって評判で,仕事が入ってこなくなって食うにもこまってるってわけ.」とにかく,こちらとしては,ウンウン聞くだけである.一方,最近のうっぷんばらしをしたいのか,彼は気持ちよさそうにしゃべる.
「こっちで思うには,マニュアルがわからないってのは,マニュアルだけの責任じゃないんではないかってわけ.ちょっと,タブーとされている発言をさせてもらうけど,ユーザの理解力とか国語力とか,まあ,知能指数とか,そういう話を横においといて,どうしてマニュアルのせいばっかりにされてしまうのかってのは,すごく不満.
ものには,いろんな見方があってしかるべきなんだよね.こっちから見たらあっちからも見なきゃいかんって思うわけ.ユーザがこわいから何もいえないなんてのは,これはもう,言論の不自由ね.熱意の不毛ですよ.
少なくとも,同じ説明を3回されても全然覚えないっていうのは,聞いている方にどこか欠陥があるんだよね.パソコンのマニュアルだって同じ.まあ,それよりも,でかい顔して恥かしくもなく『マニュアル読んでもわからん.マニュアルが悪い』なんていうアンタは3回読んだのかって問い詰めたくなるけどね.だいたい,『わからない』って,どうしていばって言えるのかね.本来恥ずべきことだぜ,これは.みんなでわからなければ,こわくないってか.
けど,マスコミさんはそうは書かないよ.だって,ユーザのプライドを傷つけたらおしまいだし.いやあ,なんでもそうだけど,わからず屋相手の商売は苦労するね.しょうもないよ.そこで考えたのがこれってわけ.」と,言ってコピー用紙の束をぐいっと手渡す.どうやら,次回作の原稿らしい.内容はデータ集計プログラムのマニュアルのようである.それにしても,むちゃくちゃを言う人だ.これで,よくも今までライターをやってこれたものだ.
原稿を見てみる.”このマニュアルでは,以下の質問に,わからない方は,後のページを読んでも無駄です.あなたの理解力では,絶対,わかりません.”いきなり,とんでもない挑戦的出だしだ.しかも,のっけから助詞の使い方が狂っていたりして,先行きが不安だったりする.
”問1.テストで点をとると大きくなるものな~んだ.:この問題は,あなたの発想力をテストしています”とある.たまげた問題である.こういう問題に答えられないとマニュアルが理解できない時代になってしまったのだろうか.人の気配を感じて,顔をあげると,彼が,息がかかりそうなほど接近して,僕の手の中にある原稿をのぞきこんでいる.「どうです,いわゆるデジタル的なカタルシスを感じませんか?」「いえ,まだ読み始めたばかりで..」まさか,第1問からわからないとも言えない.
”問2:ペルシア戦争は東方の専制支配に対するギリシア・ポリスの自由の勝利であったが,その後のアテネの民主制を徹底させ,いわゆるアテネの黄金時代を築き上げたのは誰か.:これは,世界的視野を持っているか,また記憶力や,外国の名前に対する抵抗力があるか,学校でまじめに勉強したか,または勉強しているかどうかを試すための問題です.パソコンは,日本だけの狭い見方ではだめです.”とある.おどろいたものだ.ちなみに,僕はさっぱりだが,みなさんはおわかりだろうか.後半の文章の意味が取りにくいのが気になる.
”問3:〈かそうかな,まあ,あてにするなひどすぎるしゃっきん.〉これは,理科のある学習内容を暗記するための語呂あわせである.なんの語呂あわせか.:この問題は,理科的思考があるか,また,記憶すべきことを工夫して記憶することができるかを調べるためのものです.たとえば,パソコン本体のメモリ容量とか,ソフトウエアのメニューの出し方とか,記憶すべき数値,記憶すべき操作をどうやって記憶するかということについての対応力を試します.”ふむふむ,なんとなく覚えているような.
”問4:一定の速度で動くエスカレータがある.ベルトの寿命をなるべく少ない手間で2倍にしたい.その方法は?:この問題は,もちろん,未知の問題への解決能力及び発想力をはかるためのものです.この能力に長じていれば,マニュアルを読んでいてわからないところを自分なりに解決できる能力があるわけです.反対に,この能力がないと,マニュアルを読んでもすぐつっかえます.”ちょっと,答が思いつかなかったりする.おそらく,彼は非凡な発想力の持ち主なのだろう.
”問5:21チームでソフトボールのトーナメント試合を行う.全部で何試合行われるか.ただし,敗者復活戦はないものとする.:この問題は,数学的能力,発想力,論理的思考力を試すものです.マニュアルを読むには,この程度の問題をなんなくこなすくらいの発想力が必要です”ちょっと,気が重くなる.
”以上ですが,いかがでしょうか.ここで,あなたのマニュアル読解力の判定です.解けた問題の数で判定しますので指示に従ってください.
0題~3題:能力なし.マニュアルを読んでもわからないでしょうし,実際にわからないからといって,これじゃあ誰にも文句は言えません.以後のページは読まず,本棚に飾っておいてください.
4題:まあまあ.ただし,以後のページを読むための能力は十分とはいえません.基礎がためをしてから,もう一度問題にチャレンジし,5題正解してから対処してください.
5題:グッド,ベリーナイス.これなら,あなたにマニュアルは不要です.したがって,以後のページを読む必要はありません.”
マニュアルの分厚い原稿は,そこで終わって,あとはすべて白紙だった.
この記事がフィクションかノンフィクションであるかは僕だけの固い秘密だが,なぜか依頼者は真実を知っていた.なお,登場人物,団体名等は実在の名称となんら関係がないことをお断りしておく.
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