パソコン見せ物小屋の思い出

以前、雑誌に連載していた文章です。店のPRではなく、情報公開の一環です
 ある朝、新聞の折り込み広告を見て驚いた。
 ぼくの住んでいる群馬県館林市には県立つつじが丘公園があり、5月のゴールデンウイークの頃に、つつじの最盛期を迎える。いきおい、この期間、館林市の8万人の人口を超える人出がある。
 毎年、この人出を見込んで、いろいろな商売が展開される。
今回、たまたま目についた広告によると、つつじが丘公園に、パソコン見世物小屋が出現するというのだ。
見せ物小屋というと、うさんくさいものという先入観がある。
ところが、このたびは、なんと、パソコン見せ物小屋である。
ハイテクである。
ひょっとすると、インターネットを使った、何かやばい映像の上映会をするのかもしれない。
ぼくは、へえ、と思った。
ちょうど連休の初日であったから、さっそく、子どもを連れて見に行くことにした。
 予想通り、公園内は人でごった返していた。
人々はブラウン運動をするかのように公園内をさまよい歩いていた。
迷子になった幼子があちこちで泣き声を上げ、歩き疲れたお年寄りが道のあちこちに腰をおろしていた。
交通整理の警官が汗だくで動きまわり、そのそばを2人乗りの少年少女たちが走り去っていった。
公園は喧噪のまっただ中にあった。
 当の見世物小屋は公園の一番奥に店を構えていた。
店には、時代劇の撮影セットのような雰囲気がただよっていた。
表に掲げられた横長の巨大な看板には、ヘビ女とかタコ男とか、想像通りのうさんくさい絵がふんだんに描いてある。
入場料は200円だった。安いじゃないか。
 ぼくは、おびえる子供たちの手を引いて、狭くて暗い入り口をくぐった。
中は狭い舞台に向かってなだらかな坂になっていて、立ち見席だけの客席から舞台を見下ろせるようになっている。
足もとのベニヤ板作りの床がぶかぶかした感じで安定しない。
照明の丸電球がぼんやりとゆれ、小屋内はかなり暗く、ひどくほこりっぽかった。
こんな雰囲気に耐えられないのか、一番下の明子(6歳)がぼくの上着の裾をさかんに引っ張る。
 そうこうするうちに、くたびれた音楽が流れ、68系Macintoshの起動音が高らかに鳴り響いた。
いよいよ、出し物が始まったようで、待ちに待った芸人が出て来た。
けっこう若い男だ。
背が高く、顔は、ほおがこけている。
ひょっとすると、パソコン雑誌の編集者くずれか、あるいは、プログラマくずれかも知れない、と、ぼくは直感的に思った。
彼の横顔に、ぼくは、サディスティックなほほえみを見た。
アシスタントと思われるビキニ姿のニキビづらの女性が、舞台に、20台のパソコンを運んだ。
その間、2人とも、無言である。
機種は、LCやLC3など、いまとなっては懐かしいMacintoshである。
こりゃすごい。
壮観だ。
こんなところで、歴史的な名機を20台も見ることができるなんて。
 芸人氏とアシスタント女史は、つぎつぎと電源をオンした。
慣れた手つきである。
そのまま、なにやら、いじっている。
おーい、これの、どこが見せ物なんだい。
 しばらくすると、どうやら1台がフリーズしたらしい。
芸人はそっちへ飛んでいった。
芸人がかちゃかちゃやっていると、今度は別のマックがフリーズ。
今度は芸人はそっちへ走った。
どうやら、重大なトラブルらしく、芸人はMacOSの再インストールをしている。
悠長な見せ物である。
 インストールが完了するころ、次は別のマックがバクダン表示。
芸人はそっちへ走る。
再起動してなんとかもちなおす。
すると、今度はまた別のマックが急に変な音を発しはじめる。
芸人はそっちへ走る。
もはや、芸人は、汗だくだ。
いつしか、ぼくたちも、彼に引き込まれ、どきどきひやひやしながら見ていた。
はたして、この20台のマックはどれくらいの時間、無事に動き続けるのか。。。
 そんなことをぼんやりとかんがえていると、客席から女性の悲鳴が起こった。
きゃああ。ぼくたちは、ぎょっとして声の方を見た。
 どうやら、別のマックがエラーを表示したらしい。
芸人はそっちに走る。
今度はメモリが足りないらしい、増設している。
作業中、別の席から悲鳴。
きゃああ。
小屋内は完全に客と芸人が一体化している。
 ぼくは思った。
芸人よ、がんばってくれ、20台のマックを動かし続けてくれ。
 しかし、みんなの願いは通じなかった。
ついに、1台のマックが、どうしても起動しなくなってしまったのだ。
まるで、皿回しの皿が地面に落ちてしまったかのように。
その瞬間、見せ物は終了した。
 ぼくは、がっくりと肩を落として帰路についた。
他の客も気持ちは同じだったようだ。
どの顔にも疲労の色が見られた。
きっと、いい知れないショックを感じていたのだ。
ただ、事情の飲み込めていない子どもだけが、おびえから解放されたせいもあるのか、入り口でもらった飴を手にはしゃいでいた。