以前、雑誌に連載していた文章です。店のPRではなく、情報公開の一環です 目の前の紳士は,はた目にもかなり緊張しているようすだった.
「お願いですが,これだけは守ってください.
私の所属大学の名前については,くれぐれも絶対秘密ということでお願いしたいのです.
この取材が,いくらパソコン文化の向上のためになるとはいえ,教師として職業上知りえた秘密を明かしてしまうわけですから.
まあ,私としては,今回,取材に応じることはいわば大学人としての生命をかけているのでして.」
後半の主張が突飛だが,そんなことを指摘して,もしも気分を害され,最悪の場合,帰ってしまったら,この取材は失敗におわってしまう.ここのところは,無言でうなづいた.
彼のいいぶんを100%肯定するために.
そういうわけで,ぼくの努力のたまものか,彼はようやく安心し,ほっと小さなためいきをついた.
それまで大柄な体をちぢこませて窮屈そうにしていたのだが,軽く胸をはるようにして,肩を小さく数回回した.
まばたきを何度かすると,ゆっくりと,かみしめるように,彼は続けた.
見る限りでは穏やかな人物である.
「なにせ,大学の推薦入試にかかわることですから,最高機密事項であり,この話の出処がばれたら,私は即刻クビが飛んでしまいます.
家には古い妻と不出来の子供が待っていますし.
まあ,あいつらさえいなければ,もっとのびのび行動できるんですけどね.
いまいましい.」
穏やかは取り消し.どうも,この男は一言多いようである.
しかし,ここで彼の言いぶんに反論していては,気分を害されてしまうかもしれない.
またもや,ぼくは,無言でうなづいた.
「これを見てください.これは今年のウチの情報工学科の推薦入学の時に,某高校から送られてきた推薦文ですがね.
内容はとんでもないものです.悲しいですけど,まあ,推薦文はどれもこんなレベルですね.
ああ,こいつはコピーですけど,本物は持ち出せませんから.
まあ,こうしてなんやかや言うより,まずは,ご覧になってください.
あ,雑誌社関係の方でしたよね.失礼ですが漢字は読めますよね.」
と,いい,1枚のコピーを手渡すのだった.失礼きわまりない輩である.
そのコピーには,**大学情報工学科推薦書とある.
2つの質問があり,当該生徒についての所見を高校の担任教師が書き込むようになっている.
ここは,とにかく,上から見て行くことにしよう.
まずは,生徒の名前および学校名,そして記入者名等の事務的なものが記されている.
生徒の名前だが,これは,コトがコトだけに匿名にする必要がある.ここでは,仮にB子としておこう.
そう,これは女子生徒のものである.
まず,『1.情報工学への適性(できるだけ具体的に記入).』とある.
こんなことを言うと大学には悪いが,ぼくがここに記入する立場となったことを想定した場合,おそらくは面食らってしまうであろう質問だ.
”できるだけ具体的に記入”と言われても,毎日,学校の黒板に向かって国語や数学や英語を勉強しているだけの生徒について,どこをどうひねり出せば情報工学への具体的な適性が記入できるというのだろう.
これでは,途方にくれてしまうというものだ.
質問の下には,いよいよ,記入された文章が続く.
かなりの達筆である.
しかし,こちらは,いきなり場違いの文章にぶちあたって面食らう.
『この生徒は,女性らしい細やかで優しい心を持ち,まじめな努力家で,明るく,クラスの誰からも好かれ,穏やかで陰ひなたのない性格で争いを好まない.』
おいおい,情報工学科への適性が,”まじめな努力家”というのは100歩ゆずるにしても,なんで,”穏やかで,誰からも好かれたり,陰ひなたのない性格である”が適性なのか.
”穏やか”がどういう適性なのか.
ついでに,こういう推薦文に”争いを好まない”っていう言い方はしょっちゅうなされているのか.
自分の学生時代をフト思い出したりして,ちょっと,不安におちいる.
『3年間無遅刻無早退無欠席で通い,このことからして体も丈夫で,1,2週間眠らなくても平気であるので,卒業後の不当な残業など苛酷な労働にも耐える.』
ちょ,ちょっと待ってくれ.不当な残業っていうのはとんでもない誤解ではないか.
なんか,この記入教師,ちょっとずれていやしないか.
『数学と理科が得意で,パズルなど頭を使うことが好きである.
特に,ジグソーパズルのように忍耐力さえあれば誰でもできるタイプのパズルには抜群の適性を有している.
このことは,一見ハイテクだが,内実は忍耐力勝負にすぎない情報工学への高度な適性を示している.』
本心はなんだ.けなしているのか.
これを記入した教師の誤解が,ますます進んでいるのか.
『また,文化祭のクラス展示のプログラム作成や,体育際の応援合戦でのプログラム作成における活躍は目をみはるものがあった.
プログラム作成への適性は満点といえよう.』
んなアホな.
『クラスの係として,蛍光燈係りを3年間つとめとおした.
このことは,この生徒が,たったひとつのことだけを毎日飽きもせず続けることができるということを表しており,まったく,情報工学向きである.』
どこまでトびつづけるというのか.この推薦文は.
『朝シャンを嫌う等,清潔さへの異常な執着はまったく見られないので,この点からしても情報工学向きである.
しかも,つめはめったに切らないので,キーボード作業のキータッチも安定していると思う.』
この教師,この学科に何かいいしれないうらみでもあるのだろうか.
『風呂には最長1ヵ月入らなくても耐えられる.
歯はすこぶる丈夫で磨く必要もない.
排便も数日に1回まとめてする.
すなわち,時間を有効に使う素養を持つ.
食欲は旺盛だが好き嫌いが多いので嫌いな食べ物だけ出していれば格段に安上がりになる.』
何が言いたいのだ,この文章は.
それにしても,とんでもなく些細なプライバシーまで把握している教師である.
どこぞの秘密諜報部員にでもなれるのではないか.
『基本的に夜型で,朝帰りが得意わざだが,寝だめの効くタイプであり,視力は抜群で,TV画面を18時間以上も見続けることができるので,ディスプレイを凝視する情報工学への適性はピッタリだ.
特に,ちょっとHな番組なら24時間でも見続けることができる.
これまた,情報工学への適性は満点の100乗だ.』
これでは,誤解の暴走である.
『また,クラスの友人のとんでもないうわさ話をまことしやかにふれまわったり,あることないことねつ造して流すなど,情報操作に長じ,まさに情報工学の回し者としてうってつけである.』
うわあ,いったい,この誤解,曲解はどこへどうなってしまうのか.
と,思ったらどうやら収束をむかえたらしい.
『以上のことから総合的に評価して,情報工学への適性は抜群であると判断した.
よって,次代の情報産業を担う人物を排出するであろう貴学科に対し,本校は当該生徒を自信をもって推薦する.』
とんでもない自信で,その後の合否がおもいやられるが,これで,第1の推薦項目への所見は終わる.
どこをどうやって総合的に判断したのか,今もってまったく不明.
「輩出」の誤字があるのも不気味.
さらに第2の項目.
『2.その他,当該生徒について特記すべき事項(情報工学関連の特記事項を期待する),あるいは特に連絡すべき事項について記入.』
と,ある.またもや,途方にくれてしまうような内容である.
情報工学関連の特記事項とはなんなのか.
質問の意味こそ具体的に書いてほしいものだ.
さて,この教師の記入を見ることにしよう.
『特記事項なし.』
うーん,第1の所見に比べるといきなりフェイントというかひとり時間差である.
ところが,敵もさるもの,これで終りではない.
『連絡事項.10月になりましたが,まだまだ暑いですね.』
とある.
おいおい,そんなどうでもいいようなことを大学に連絡してどうしようというのだ.
とにかく,目の前の紳士が言うように,この推薦文はとんでもないものである.
読み終えて,気がつくと,ぼくはヒタイとわきの下にうっすらと汗をかいていた.
悪夢か.
いや,こいつは,ごく特殊な事例にすぎないのではないか.
他のはもっとまともなのだろうに.
うーん,それとも..
目の前の紳士は,ぼくの疑問を察したのか,数枚のコピーを無言で手渡した.
ぼくと彼とはさきほどからずっと無言のままである.
ぼくは,手渡された数枚のコピーをパラパラとめくると,一瞬,軽いめまいを感じた.
それらの推薦文の所見はどれもこれも,このようにして始っていたのである.
つまり,『明るい』『クラスの誰からも好かれ』『穏やか』『努力家』『素直』等々.
この記事がフィクションかノンフィクションかは僕だけの秘密であるので誰にもわからないはずである.
なお,登場人物,団体名等は実在のものとなんら関係がないことをお断りしておく.
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