ダブルクリック狂詩曲

以前、雑誌に連載していた文章です。店のPRではなく、情報公開の一環です
「とてもじゃないけど,無理だな」
 青山一郎は深いため息をついてマウスを投げ出した.
「あきらめちゃだめよ.ここであきらめたら元も子もないじゃない」
 そういうと,篠田陽子は軽やかにマウスをダブルクリックした.彼女は17歳にしてダブルクリックの詩人と呼ばれる女子高校生である.
「どうしてもだめなんだ.できないんだ,ダブルクリックが」
 青山は手をふっている.筋肉がつるのだろう.
「よぉ.泣きそうな顔してんじゃねえよ」
 声をかけたのは稲葉である.熊のように毛深い巨大な手をしているが,彼もダブルクリックの名手であり,先日は,全国高等学校ダブルクリック選手権でV2をなしとげたばかりである.それどころか,この夏休みにイタリアで開催されるダブルクリックオリンピックに日本代表として出場することが決まっている.彼のダブルクリックは,飛形点において,おそらくは世界一のレベルと言われている.
「オレだって最初はうまくいかなかったんだぜ.今のオレがあるのも,努力のおかげ.ひたすら努力あるのみさ.へへへっ」
 稲葉は5連続半回転ひねりダブルクリックを鮮やかに決めると,にやりと笑った.このワザは”イナバクリック”として世界的に有名な技になっており,世界中のパソコン使いが3ヶ月間猛練習しても1万人に1人しかできなかったという事実が言い伝えられている.
「稲葉,どうすりゃおまえみたいにできるようになるんだよ.生まれてから一度も逆上がりできず,25メートルも泳げないオレがさ」
 青山の叫びは悲痛だ.日の出大学付属高校のパソコン部に入部して早や2年が過ぎたのに,いまだにダブルクリックができないのだから.
「ダブルクリックに鉄棒なんか関係ないって.がんばるのよ」
「そう,そう」
 稲葉は,マウスボールの片車輪走行でドラッグ&ドロップすると,Vサインを作ってみせた.
「青山君てば,見ちゃいられなぁい.あたし,いままで見捨ててたけど,枯れ木も山のにぎわいだし,これから心を入れかえて青山君に協力するわ」
 そりゃないぞ.まわりは気楽である.
「青山君,いい?あたしが,1,2ってかけ声かけるから,リズムに合わせてクリックして,ほら,イチ,ニッ」
「うわぁ,だめだあ,どうしても2回目のクリックが遅れちゃう」
「コンパネでマウスクリックの調節したらどうかしら」
「それはだめだな」
「なぜ?」
「いいか?部活のマックはな,みんなで使うもんだぜ.だれか特定の人間が使いやすいように設定しちゃだめなんだ」
「そんなもんかなぁ」
「それより,いきなりイチニじゃついていけないのも無理はないな」
「じゃ,どうするのよぉ」
 陽子は口をとがらせて抗議した.
「あぁ,ダブルクリック甲子園の決勝戦の歓声が思い出されるなあ.あれから,女の子にもてまくってさあ.賞品はiMacだったしぃ」
「過去の栄光はいいから,どうしたらいいか教えてよ」
「要するにイチニッじゃ,リズムが悪いってわけさ」
「もったいぶってないではっきり言ってよ」
「つまり,イチ,ヒャクニって言うわけ.これで,ワンクリックの後にウェイトが入るからうまくいくわけさ」
「やっぱ,だめだぁ」
 青山は消え入るような声である.
「イチ,ヒャクニもイチ,センヒャクニも,イチ,イチマンセンヒャクニもやってみたけど.だめだあ」
「うーん,こまったな」
 稲葉は腕を組んでいる.盛り上がった手の甲の筋肉が壮観だ.
「そうだ,青山君,これ,どうかしら.青山君って,人差し指だけでクリックしてるでしょ」
「そりゃ,そうだよ」
「そこよそこ.人差し指で1回目のクリックをしたら,2回目のクリックは中指でするってのはどうかしら」
「あ,オレもそれ聞いたことがある」
 稲葉は左右両方の手でそれぞれマウスをにぎり,テーブル上でマウスによるタップダンスを始めた.
「つまり,一本指ではすばやくダブルクリックできなくても二本指を使えばダブルクリックも難なくできるというわけさ」
「わぁぁ,やっぱり,できないよぉ」
「どうしてだめなのかなあ」
「うーん」
「とにかく,オレ,素振り1000クリックを欠かさずやることにするよ」
 そう言うと青山は素振り1000クリックを開始した.
「ダブルクリックじゃなきゃ,トリプルでも100連でもできるのにぃ.不思議っ.ダブルだけできないのって」
 陽子は,”ロシアンルーレットクリック”というあだ名で呼ばれる青山の見事な連続クリック技を眺めながらため息をついた.